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李韶 (北魏) : ミニ英和和英辞書
李韶 (北魏)[り しょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [きた, ほく]
 (n) north

李韶 (北魏) : ウィキペディア日本語版
李韶 (北魏)[り しょう]
李韶(り しょう、453年 - 524年)は、北魏官僚は元伯。本貫隴西郡狄道県
== 経歴 ==
李承の長男として生まれた。延興年間、中書学生となった。太和年間、姑臧侯の爵位を嗣ぎ、儀曹令に任じられた。車服羽儀の制度の改定に参与した。給事黄門侍郎に転じた。後に侯から伯に降封された。給事黄門侍郎のまま、大鴻臚卿を兼ねた。
孝文帝洛陽遷都の計画を立てると、侍臣を召して古事を問わせたが、李韶は洛陽の地勢を讃えて、帝に喜ばれた。太子右詹事に転じた。まもなく詹事・秦州大中正となった。さらに安東将軍・兗州刺史として出向した。
宣武帝の初年、洛陽に召還されて侍中となり、七兵尚書を兼ねた。まもなく撫軍将軍・并州刺史に任じられた。501年景明2年)、従弟の李伯尚が咸陽王元禧の反乱に同調したため、李韶は并州での在任を禁止されて、洛陽に召還された。李韶自身は反乱の計画について知らなかったが、親族の罪に連座して官爵を剥奪された。長らく経って、兼将作大匠として再起し、朝儀や律令の制定に参与した。
506年正始3年)、呂苟児が秦州で反乱を起こすと、李韶は撫軍将軍・西道都督・行秦州事となり、右衛将軍の元麗とともに軍を率いて反乱の討伐にあたった。反乱が鎮圧されると、李韶は正式に秦州刺史となり、爵位を回復した。後に洛陽に召還され、行定州事として赴任した。まもなく撫軍将軍のまま相州刺史に転じた。
孝明帝の初年、入朝して殿中尚書となり、行雍州事をつとめた。後に中軍大将軍・吏部尚書に任じられ、散騎常侍の位を加えられた。また冀州刺史として出向し、治績を挙げ、散騎常侍の位を加えられた。車騎大将軍の号を加えられ、辞退しようとしたが許されず、やむなく受けた。散騎常侍のまま、定州刺史に転じた。中山に赴任するにあたって、冀州の父老たちは李韶の転任を西境まで見送り、集まってその別れに涙した。524年正光5年)4月、李韶は在官のまま死去した。享年は72。侍中・持節・散騎常侍・車騎大将軍・司空公・雍州刺史の位を追贈された。は文恭といった。永安年間に安城県開国伯に追封された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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